2011年04月17日

2011/4/15更新分目次

哲学書評
日本語と哲学
(飯田隆「「見る」と「見える」」)
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)
私家版哲学事典
「東大教授」
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(1)

日本語と哲学
飯田隆「「見る」と「見える」――日本語から哲学へ」
(『岩波講座 哲学〈1〉いま“哲学する”ことへ』岩波書店(2008) pp. 107-133.)

内容

一 「音がする」
二 「見えている」
三 「見る」と「見える」
四 「見える」から「見る」へ

(書名からのリンクはAmazonです。書名なしのページ番号は『岩波講座哲学01いま<哲学する>ことへ』のものです。)

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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(2)


視覚にかかわる「……がする」という形の表現はごく少数しかなく、それらは視覚全般にわたる表現にはなれない。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(3)


「見る」と同様、「聞く」も「XがYを聞く」という格構造を持つが、「聞く」は「聞こえる」よりも意味の幅が広い。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(4)


机が私に見えていることは、机と私とのあいだの因果関係に容易には還元できないものとして、机を私が見るという関係とは根本的に異なる。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(5)



0
本論文は、「音がする」や「見える」の分析を通じて出来事と状態を区別し、「見る」と「見える」の違いから形而上学的な含意を引き出し、大森荘蔵の立ち現れ一元論と比較したものである。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(6)

1-2
次に、どうして「さまざまな風景」から単一の世界へ移行できるのかという点について。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(7)

1-3
三つ目に、これらの哲学的な主張が日本語についての議論から導けるのかという点について。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(8)

2
本論文の日本語論が大森の議論とかみ合っているかどうかについて。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(9)

3
3-0
大森の立ち現れ一元論が正しいかどうかについて。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(10)

「見えている」に関して、しばしば引用される大森の主張がある。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(11)

3-2
次に「見る」の受け身について。続きを読む
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日本語と哲学 (飯田隆「「見る」と「見える」」)(12)

3-3
最後に、「現れ」について。続きを読む
posted by 三好 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「東大教授」(私家版哲学事典)

東大教授(とうだいきょうじゅ)

「東大教授」という肩書きを持つ人。

posted by 三好 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 私家版哲学事典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

2011/4/1更新分目次

哲学書評
技術論と日本観
(村田純一「技術への問い」)
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
パーソナル格言集
「平時の……」
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技術論と日本観 (村田純一「技術への問い」)(1)

技術論と日本観
村田純一「技術への問い」
(『岩波講座 哲学〈1〉いま“哲学する”ことへ』岩波書店(2008) pp. 73-103.)


内容

序論
1文明の衝撃
2決定論と本質主義
3近代化をめぐる技術哲学の課題
一 技術と近代
1「社会構成主義」
2本質主義と非本質主義
二 技術と創造性――西田幾多郎の技術哲学
三 技術の解釈学――日本の近代化
1徹底的変換
2根元的翻訳
3媒介された変換――職人と伝統技術の役割
四 暫定的結語――近代的であるとはどういうことか

(書名からのリンクはAmazonです。また、参照されているページは『岩波講座哲学01いま<哲学する>ことへ』のものです。)
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posted by 三好 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

技術論と日本観 (村田純一「技術への問い」)(2)


1
現代の技術哲学・技術論の特徴のひとつは「社会構成主義」の興隆だが、「社会構成主義」という言葉は必ずしも適当な言葉ではない。続きを読む
posted by 三好 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

技術論と日本観 (村田純一「技術への問い」)(3)


西田哲学は後期に至ると、具体的な歴史的世界のなかで活動する人間のあり方が「制作」(ポイエーシス)という概念を用いてとらえられ、その論理を「技術的」と名づけることが行われる。続きを読む
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技術論と日本観 (村田純一「技術への問い」)(4)

2
マンフォードが言うように、時計は長い間、近代的機械の象徴と見なされてきた。続きを読む
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技術論と日本観 (村田純一「技術への問い」)(5)


非決定論・非本質主義の見方を取り入れた現代の技術哲学の議論の水準を参照すると、技術と近代の関係はどのように見直されなければならないか。続きを読む
posted by 三好 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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