2009年08月02日

斉藤浩文「推論と意味」

斉藤浩文「推論と意味」(飯田隆編『岩波講座哲学03言語/思考の哲学』岩波書店(2009) p. 63-81)
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内容

一 辞典における意味
二 意味と使用、そして推論
三 ダメットの意味理論
四 推論規則の保存拡大性
五 推論規則の正当化
六 正当化を要求することの意味
七 言語表現一般への拡張をめぐって

評者による要約

言語表現についてそれがいかなる意味を持つのかという問いに、辞書的な意味の説明は答えにならない。では、表現の使用を用いて、その表現の意味を十全に与えるにはどうしたらよいか。ダメットは発話の根拠と発話の帰結を区別した。また、疑問文や命令文については、それらの規約と主張文の規約との間に安定した関係がある。したがって、語の意味を説明するためには、その語を含む主張文の発話の根拠と帰結に注目すればよく、その根拠と帰結を与える主張文との間の推論関係に注目すればよい。

ダメットは、デイヴィドソンの真理条件的意味理論とは対立する、主張可能性条件的な意味理論を打ち出しし、直観主義論理の自然演繹における論理演算子の導入規則をその意味を定めるものとみなした。日本語においても「そして」導入規則と「そして」除去規則を考えることができる。「そして」を含まない日本語の言語断片に「そして」導入規則や「そして」除去規則を加えても保存拡大性が成立する。「そして」除去規則はその導入規則と調和しており、それによって正当化されている。しかし、「そして」導入規則はそのような正当化が与えられない。ホーウィッチは表現の使用規則について、意味生成的な正当化を考えたが、それは規則の正当化として成功していないとする。

「AそしてB」と主張することが許す、ということがら自体のうちに、「AそしてB」を主張することが正当であるということが含まれている。「このようなそして」導入規則は自己正当化的であると呼ぶことができる。既存の言語に新しい語の導入規則と除去規則を加えるとき、それらが正当化されていれば、保存拡大的であり、元の言語の各語の意味は変わらない。しかし、規則が正当でないなら、他の語は確定した意味をもつとは言えない。保存拡大性と推論規則の適切さはまた別である。

論理語以外の語については、保存拡大性は必ずしも問題でない。また、調和による正当化は問題でない場合と問題である場合がある。




本論文の最大の欠点は結論がないということである。語の意味はいかに説明されるかという問題提起によって議論を始め、語の導入規則と除去規則の調和が成立しない状況の細分化が必要と指摘して終わっている。だから結局、論理語以外の語の意味の使用規則がどのように与えられるのかは、ほぼ手つかずで放置されている。読者としては、画期的な知見に到達しなくても、何かそれまでの論考を踏まえた展望が欲しいところである。

また、途中で保存拡大性や規則の調和や正当化について論じているのに、それが最終節の論理語以外の語についての部分で、ほとんどすべてひっくり返されている。現実には、「そして」のような論理語の意味は(論理語として解される限り)、意味論上(他の語に比べて)大きな問題ではない。むしろ、論理語以外の語の意味をどう体系的に規定するかが自然言語の意味理論の重要な課題である。ゆえに、これでは何のために保存拡大性等に延々と言及してきたのか、よくわからないと言わざるを得ない。

次に基本概念があいまいである。例えば、主張とは何だろうか。私はダメットの学説や直観主義論理には不案内なせいか、本論文ではやや安易に考えられているように感じられた。本論文における「主張」を語用論的な意味で理解してよいならば、主張可能性条件を確定するためには、はるかに多くの議論が必要不可欠だと思われる。なぜなら、主張とそれ以外の言語行為、また主張内容とそれ以外の伝達内容(間接的言語行為、会話の含み、前提(presupposition)など)とは十分明確に区別することが困難だからである。例をあげると、

A:今夜映画を見に行かない?
B:明日テストがあるから。

Bは主張しているのだろうか、それとも何か他の行為を遂行しているのだろうか。主張しているとしたら、何を主張しているのだろうか。翌日テストがあることか、映画を見に行けないということか、それともテストの前夜でなければ映画に行っただろうということか。明らかに主張であっても、簡単だとは限らない。

C:私は、人間は魂を持つと主張する。

Cが主張しているのは、人間が魂を持つことか、それとも、Cがそれを主張しているということか、これら二つともか。

「主張」については、翻訳の問題もある。本論文で「主張」と訳されている、ダメットの原語は”assert/assertion”である。しかしこの語には、例えばサールの『表現と意味』(山田友幸監訳)では、「断言」という訳語があてられている。日本語上で、何かを主張してよい条件と断言してよい条件は相当違うと思われる。とすれば、主張可能性条件をもっと詳細に、できれば使用言語から中立的に規定する必要があったと言ってよいだろう。

それから、規則の調和、自己正当化、適切さといった概念もほぼ定義や解説なしで使われている。この点も、多くの読者に対して理解を困難にしているところではないか。

最後に、全体的な感想を述べると、本論文は論述があっさりしていて、ダメットや直観主義論理に詳しくない者の目には、大事なところで必要な議論を欠いているように見える。特に、語用論的な問題意識を持っている人が読むと、かなりフラストレーションが溜まるのではないかと思う。

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ラベル:意味 ダメット
posted by 三好 at 05:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 専門の学者さんのブログ(→こちら)に長々と素人見解を書くのは僭越で恥ずかしいと思ったのでそれはやめたのですが、せっかく書いたのにもったいないのでここに転用します ダメットの言語哲学は日本語ではめぼし..
Weblog: 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-
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