2011年06月25日

他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(2)


ひとつの道具といったものは厳密にいえば存在しない。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(3)


なじまれ、慣れしたしまれた世界のなかで、他者もまた熟知された相のもとで現前する。他者はその不在にあってすら一箇の現前であり、遠くはなれた他者もまた、<わたし>にとって近い存在でありうるだろう。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(4)


無数の他者たちがこの<わたし>よりもさきに存在し、<わたし>が他者たちのあいだで<わたし>になったのとおなじように、たとえば語彙と文法の体系といったかたちで思いえがかれるような言語体系は<わたし>に先だってすでに存在し、<わたし>はまず他者たちから言葉を習得することで、じぶんのことばを獲得する。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(4.5)



0
本論文はハイデガーの道具論やレヴィナスの他者論を踏まえながら、他者について道具、理解、言語などの面から論じたものである。参考になるのは、ハイデガーやレヴィナスの諸説について多少の知識が得られることである。疑問に思われるのは、道具と他者の関係、他者の身体と痕跡、他者とのコミュニケーション、他者と超越についての著者の考えである。以下、吟味していきたい。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(5)

(1-1の続き)

さらに、多くの道具については、さらにそれを運搬した人や販売した人などもほとんど必ず存在しているということも付け加えなければならない。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(6)

(1-1の続き)

そして、人間が道具を使用するということを正確に理解するためには、道具の使用の多様性にも目を向ける必要がある。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(7)

1-2
1-2-0
第二に、もの同士は自ら関係せず、<わたし>とものは一方的な関係に過ぎないが、<わたし>とひとは相互に関わりあうことができると言えるだろうか。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(8)

1-2-3
さらに、<わたし>とひとは相互に関わりあうことができるから、他者だけが<わたし>にとって特別だと言えるだろうか。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(9)

2-0
第二に(前節の第三の点でもある)、他者の身体と痕跡について。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(10)

3
3-0
最後に、他者とのコミュニケーションについて。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(11)

3-2-4
第四に、「ことばはたんなる記号、反復可能性によって意味を持つ記号にすぎない」から「いっさいはもはや表現され、言いつくされている」というのは誤っている。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(12)

3-3
3-3-0
さて、著者は上で引用した主張を当てはめて、<わたし>と他者とのコミュニケーションの成立について次のように述べる。
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(13)

3-4
3-4-0
引き続いて、結論的に著者は次のように主張する。
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(14)

4
4-0
第四に、他者と超越について。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(15)

4-3
4-3-0
第三に、「祈りが超越的なものに向けられたことばであるかぎりでは、神を意味する絶対的に他なるものという名が、むしろ具体的な他者について語られる」というのも、かなり根拠が薄弱である。続きを読む
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2011年06月24日

他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(16)

4-4
第四に、「神を意味する絶対的に他なるものという名が、むしろ具体的な他者について語られる。他者は、その他性と超越において、つねに絶対的に他なるものにほかならない」という主張にはまた別の問題がある。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(17)

(以下は本論文に対する主観的な印象に基づく論評である。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(18)

4-5
4-5-0
他者の超越性との関連で著者は、本論文の最後で次のように確認している。

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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(19)

5
なお、細かいことだが、著者の日本語表現についても気になるところがあった。続きを読む
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2011年05月20日

哲学と東洋思想(末木文美士「日本発の哲学」)(1)

哲学と東洋思想
末木文美士「日本発の哲学――その可能性をめぐって」
(『岩波講座 哲学〈1〉いま“哲学する”ことへ』岩波書店(2008) pp. 135-158.)


内容
一 「日本哲学」とは何か
二 「宗教」の場合
三 「哲学」の導入
四 「哲学」と「思想」
五 日本発の「哲学」は可能か?

(書名からのリンクはAmazonです。ページ数のみの参照は『岩波講座哲学01いま<哲学する>ことへ』へです。)


評者による要約([]内は評者による補足またはコメントです。)
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posted by 三好 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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