他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(7)

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第二に、もの同士は自ら関係せず、<わたし>とものは一方的な関係に過ぎないが、<わたし>とひとは相互に関わりあうことができると言えるだろうか。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(8)

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さらに、<わたし>とひとは相互に関わりあうことができるから、他者だけが<わたし>にとって特別だと言えるだろうか。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(9)

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第二に(前節の第三の点でもある)、他者の身体と痕跡について。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(10)

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最後に、他者とのコミュニケーションについて。続きを読む
posted by 三好 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(11)

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第四に、「ことばはたんなる記号、反復可能性によって意味を持つ記号にすぎない」から「いっさいはもはや表現され、言いつくされている」というのは誤っている。続きを読む
posted by 三好 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(12)

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さて、著者は上で引用した主張を当てはめて、<わたし>と他者とのコミュニケーションの成立について次のように述べる。
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(13)

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引き続いて、結論的に著者は次のように主張する。
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(14)

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第四に、他者と超越について。続きを読む
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他者・道具・神(熊野純彦「他性と超越」)(15)

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第三に、「祈りが超越的なものに向けられたことばであるかぎりでは、神を意味する絶対的に他なるものという名が、むしろ具体的な他者について語られる」というのも、かなり根拠が薄弱である。続きを読む
posted by 三好 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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